これまでの人生で一番ゾッとしたことは、西荻窪の飲み屋でたまたま意気投合して夜通し飲んでた相手が1週間前に死んでたこと
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
心霊的な話ではなく、そいつが故人の名を騙り、故人の衣服を着て、生前の故人として振る舞っている精神障害だった。そいつは故人を想う余り、自身を故人に投影して自我を喪失していた
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
怖すぎて今まで誰にも言ったことなかった。そして、そいつ自身も今では故人である。自殺等ではなく、普通に消化器系の病気で亡くなったらしい
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
そいつと故人は同性愛者というわけではなかったが、明らかに同性間の友情というだけでは済まされない関係だったらしい。『太陽がいっぱい』におけるアラン・ドロンのように、そいつは故人を愛する余り故人そのものになろうとしたのだ。遺品となった服を見に纏い、鏡に映った自分自身にキスをして
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
オーストリア出身の小説家、ロベルト・ムージルによる『特性のない男』という20世紀文学における大金字塔がある。容姿が酷似した兄妹が近親相姦的な愛に身を投じる話だ。彼らは互いへの愛情を「自己愛」の延長線上にある物と定義する。
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
"君は僕の自己愛なんだ"
"シャム双生児でなくてはならないわ"
自己嫌悪も含めて自己を愛し、固執するゆえに自身に似た存在を愛するというのは普通にある得ることだろう。そして、「あなたになりたい」と願うのも。それらは恐らく表裏一体関係にあり、共に自我と自意識の暴走及び崩壊によって為される
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
自己を愛で、固執し、想うがゆえに自身に似た者を愛し、また、その者をより自身の中に取り込みたいと願うがゆえにその者に自己を近づけようとするのだ
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
少し気になったので書いておくと、先述した『特性のない男』、「兄妹が近親相姦的な愛に身を投じる話」と書いたが実際には兄の一方的な愛であり、妹は他に愛すべき男を見つけ、兄による妹萌えユートピアは脆くも崩れ去る(そして本来はそもそもそういう小説ではない)
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月21日
なんか話が逸れてしまったな。とにかくあれは本当に怖かったし切なかった。もう少しそいつのそれまでの人生を知りたい気持ちもあったが、深く関わるべきではないと思い、蓋をしたまま現在に至る
— デリリウム (@thehellofit) 2022年2月22日